【すずめの戸締まり・ネタバレ感想】チャラメガネとネコチャンと無機物(椅子)に三方向から殴られる
大ヒット上映中の映画『すずめの戸締まり』。これまでに観てきた『君の名は。』『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『天気の子』を押さえ、(私の中では)新海誠界の圧倒的トップに躍り出た作品である。
ストーリーもテーマもキャラクターも最高で、私はチャラメガネ(CV.神木隆之介)とネコチャン(神様)と無機物(CV.松村北斗)に三方向からタコ殴りにされて瀕死状態となった。
国民的大ヒット映画がダイレクトにブッ刺さったのは久しぶりなので、記念も兼ねて、今作の好きなところや私なりの解釈をネタバレ有りで語りまくりたいと思う。まだ『すずめの戸締まり』を観ていない方は今すぐ画面を閉じて映画館に行ってほしい。ただ、今作には「東日本大震災」に関する描写がしっかり組み込まれているので、その辺りは注意して自衛してもらいたい。人によってはかなりキツイと思う。
【チャラメガネ(神木隆之介)について】
「茶髪メガネピアスタバコの神木隆之介のことしか考えられない」「芹澤朋也が性癖を狂わせる」
公開初日の私のタイムラインはそんな言葉で埋め尽くされた。気になった私は予告を確認した…が…
そんな奴おらんぞ???集団幻覚か??
神木くんといえば『君の名は』で"男子高校生の中にいる女子高校生"の演技が大絶賛され、前作『天気の子』でもシークレット出演を果たして観客を大いに沸かせた男。そんな大御所がすずめの戸締まりにも出演?しかも瀧くん役ではない??集団幻覚だと思っていた。劇場に行くまでは。
神木隆之介、おる。
演技があまりにも自然で瀧くんとも全く違うので、前情報がなかったら多分気づかなかった。
茶髪・丸メガネ・タバコ・ピアス・細マッチョ…ビジュアルの時点で属性てんこ盛りだが、ここに「教育学部の大学生」「面倒見の鬼(教採を飛んだ友人を片道7時間かけて迎えにいく)」もプラスされる。愛車はボロくて赤いスポーツカーだし、サービスエリアでソフトクリームとご当地ラーメンも食う。しかも声帯が神木隆之介。
TLを震撼させたのも納得なとんでもなさっぷり。正直、初見時はこいつが衝撃的すぎてちゃんと拾えなかった展開や台詞が大量にあった。
『君の名は。』の頃から感じてはいたが、やはり新海誠とは神木隆之介の趣味が合うらしい。実写でもチャラメガネやってほしい。
ところでこの芹澤朋也、観客の性癖ぶち壊し係および後半の展開盛り上げ名誉会長以外にも、重要な役割を担っている。
それは痛みを知らない傍観者の視点を作品に持ち込むことである。
芹澤絡みで特に印象的なのが、すずめの実家(東北)に向かう車の中で懐メロを流し、口ずさむシーン。彼は作中で「BGMはゲストに合わせて流す」と話しており、パンフレットでは新海誠監督の口から「懐メロは芹澤が環さんに合わせてチョイスしたため、彼の趣味ではない」という旨が語られている。芹澤は場の空気を和ませるためにも懐メロを歌い続けるが、うろ覚えの部分も多いのか、あやふやな歌詞で誤魔化すようになっていく。これは気配り力の高さと、知らない歌詞を「ニャー」で誤魔化すあざとさが垣間見える魅力大爆発シーンだが、それ以外の意味もあるのではないかと考えてしまう。
「芹澤が口ずさむ懐メロの歌詞が、東北に近づくに連れてどんどんあやふやになっていく」状況は、「人々の中で東日本大震災の記憶が薄れていっている」現実と被るものがあるのだ。
そしてもう一つ印象的なのが、すずめの横で被災地を見ながら「綺麗な場所」というシーン。この発言は被災者であるすずめの心をざわつかせることとなる。
あれだけ人間ができている芹澤でさえ、ふとした瞬間に地雷を踏み抜いてしまうことがあるのだ。芹澤が震災を経験したのか否かは分からないが、作中の描写から見て大きな傷を負ってはいないであろうことは感じ取れる。そしてこの作品に感動した私自身も「震災の痛みを知らない傍観者」の1人なのだ。実際に被害を受けた方々と私では、同じものを見た時の感覚が全然違う。自分の尺度だけで物事を見ていると、無自覚に誰かを傷つけてしまうかもしれない。そんなことを改めて考えさせられた。
「当事者の痛みを知らず、無遠慮に地雷を踏み抜いてしまう傍観者」は作品に深みをもたらすが、観客(特に震災の被害を受けた人たち)にとって大きなストレスになってしまう危険性も高い。だからこそ芹澤朋也は観客に広く深く愛される性癖ぶち壊し大学生として爆誕したのかもしれない。だとしたら作劇とキャラメイクが上手すぎる。新海誠こわい。
【ネコチャン(神)について】
すずめがなんの気無しに与えた善意に一目惚れした結果、自らの役割を草太さんに押し付けて日本列島を危険に晒した純真無垢な神様。今作のマスコット…のように見える白猫・ダイジンの正体を一言で表すとこのようになる。
椅子にされて凍結までした草太さんからするとめちゃくちゃ迷惑な存在だが、私はこのダイジンのことをどうしても嫌いになれない。むしろあの子の幸せについてずっと考えてしまう。
ダイジンは長い間「要石(かなめいし)」として日本の災厄(災害)を抑えるための「機関」になっていた。それを解き放ち「うちの子になる?」と迎え入れたのはすずめだ。日本の一般家庭で暮らす高校生からしたら、ガリガリに痩せた猫にご飯をあげて声をかけるのはなんの気なしの行為だ。そもそも猫に言葉が通じるとも思っていないだろう。でも長い間ひとりぼっちで「機関」としての役目を果たしていた神様にとって、すずめの言葉は重すぎた。痩せ細った姿から、ふっくらと愛らしい姿になり、人間の言葉まで話すようになったダイジン。草太さんに「要石」の役目を押し付けたのも、「草太さん(新たな要石)を犠牲にしなければ多くの人が死ぬ」と伝えてすずめを追い詰めたのも、全ては「すずめの子になるため」だ。
このダイジンとすずめの関係性は、すずめと環さんの関係性に置き換えることができる。被災して一人ぼっちになったすずめに「うちの子になろう」と言葉をかけた環さん。ボロボロだったすずめが環さんの言葉によって生かされたように、すずめの言葉が「一人きりで役割を果たす機関」であったダイジンに「すずめと一緒にいたい」という自我を与えてしまったのだ。
すずめの言葉に縋って自由の身となったダイジンだったが、彼女の口から出たのは「大嫌い」「二度と話しかけないで」という拒絶だった。ダイジンは深く傷つき、ふっくらとした愛らしい姿と人間の言葉は再び失われてしまった。それでもなお、すずめを追いかけ、すずめの側にいることを望んだダイジン。その姿は亡くなった母を探して常世(死後の世界)に迷い込んでしまった幼いすずめと被って見えた。
だからこそサダイジンは環さんから「私の人生返して」「うちの子になろうと言ったことは覚えていない」という言葉を引き出して、すずめに突き出したのだろう。自分が放ってしまった言葉の重さを思い知らせるために。そんなサダイジンに唸り声をあげて怒るダイジンがあまりにも健気で涙腺がぶち壊れてしまった。
ダイジンがすずめと共に幸せに生きる道はなかったのかとつい考えてしまうが、「すずめの手で元に戻して」と望んだのはダイジン自身だ。「日本」という土地のためではなく、大好きなすずめのために要石になったことが唯一の救いなのかもしれない。
かけまくしもかしこき日不見の神よ。遠つ御祖の産土よ。久しく拝領つかまつったこの山河。かしこみかしこみ、謹んで……ダイジンがすずめの家でゴロゴロしてご飯を食べてすずめと遊んでたまに草太さんと喧嘩する平和な日常、お頼み申す!!!
【無機物(松村北斗)について】
最後に今作の目玉であり主人公の1人とも言える存在、宗像草太について。長髪ロン毛がっしり体格美麗お兄さんが開始20分で3本脚の子ども用椅子になってしまうという、斬新かつ不憫すぎる展開。魅力的なイケメンがこんなにも早く椅子になっちゃって大丈夫なのか…?と思っていたが、何の問題もなかった。
だって椅子がかわいいから
こんなにかわいい無機物、滅多にお目にかかれない。『アラジン』の魔法の絨毯くんばりにかわいい。この見た目でバッタバッタ走りながらも、声帯は松村北斗で発言は紳士なお兄さんというアンバランスさがたまらなく魅力的。椅子なのにかわいい、かわいいのにイケメン、イケメンなのに椅子。唯一無二すぎる最高の無機物が爆誕してしまった。
意図せず最高の存在になってしまった草太さんだが、彼には無機物のままではいられない理由があった。まずこの姿だと「閉じ師」の仕事が満足にできない。椅子の脚じゃ扉を押さえることも鍵を閉めることもままならず、すずめと行動を共にするようになってからは呪文詠唱&ダイジン確保に専念することになった。更に「教師になる」という夢も叶えられない。閉じ師も教師も頑張ろうとしている草太さんに金銭的な援助をしたいが、無機物相手ではそんな妄想すら捗らない。
そして何より、無機物のままでは草太さんが草太さんとしての人生を歩めない。椅子の姿にされた挙句、「要石」の役目も押し付けられた草太さん。彼を待つのは、日本の災害を抑えるため、自我も意志も失った無機物となって、同じ場所に刺さり続ける未来だけだ。
要石になる直前、草太さんはすずめに言葉を残す。
「ここで終わるのか。こんなところで。でも君と会えた…」
草太さんの言葉はここで途切れ、東京に住む沢山の人々のために沈黙することになる。この言葉を聞いた時、私が想像した言葉の続きは以下のような物だった。
「でも君と会えたから幸せだった」
人々を守るため、危険を顧みず扉を締め続けてきた草太さん。そんな彼がすずめと巡り会えた喜びと旅の思い出を噛み締めながら、100万人を守るための犠牲となる。そういう綺麗で残酷な物語を思い描いてしまったのだ。しかし、彼の心のうちは全然違った。
「ここで終わるのか。こんなところで。でも君と会えたのに。死にたくない。死ぬのは怖い。」
お爺さんとの思い出や芹澤と過ごす日常、すずめとの旅を振り返りながら、涙混じりの声で「生きたい」と叫ぶ草太さん。彼の本心を聞いて、同じように泣きながら「私も死ぬのは怖い」と叫ぶすずめ。そんなすずめの心に触れて、「万人のための犠牲となる役目(要石)」に戻ることを決めたダイジン。感情と思いやりの連鎖。こんなんもう泣くしかない。
他人のために人知れず命を危険に晒し続けてきた草太さんと、「人が生きるか死ぬかは運」「死ぬことより草太さんのいない世界の方が怖い」と考えて無茶な行動を取るすずめはどこか似ている。芹澤の言葉を借りるならば、2人とも「自分を雑に扱っている」節があるのだ。特にすずめは、被災経験と母親の死によってこのような考え方になってしまった可能性が高い。彼女は自分が死ぬことより、大切な人に置いて行かれて1人で生きることの方がつらいと思っていたのだ。
そんな2人がお互いと出会って、旅先で様々な人の想いに触れて、生に執着するようになった。命が仮初のものだと知っていても、1分1秒でも長く生きながらえたいと思えた。あまりにも最高。一生一緒に生きてほしい。推しカプ爆誕。ハレルヤ。
今回は私が特に狂わされたチャラメガネ・ネコチャン・無機物に絞って話をしたが、『すずめの戸締まり』の魅力はそこだけではない。まず椅子とすずめが日本中を旅するロードムービー要素が楽しいし、そこで出会う様々な女性たちはみんな魅力的だ。すずめの良き保護者であろうと頑張ってきた環さんの物語も涙腺に来る。そして何より、震災が残した傷跡に真正面から向き合い、日本を代表するエンタメ作品として描ききった新海誠監督に、最大限の賛辞を送りたい。